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2016年5月19日 (木)

2015年度最優秀卒論賞を授与(2016年3月)

 同窓会では2010年定例総会の決定に基づき、 在学生に毎年「奨学金」(「最優秀卒論賞」)を授与しております。
 2015年度も(第7回)「最優秀卒論賞」を授与させて頂きました。 今後ともこの「奨学金」が在学生のみなさんに励みとなってくれることを願っています。
((右写真)第64期新卒業生の皆さん)
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卒業論文審査について 橋川健竜(総合文化研究科准教授)
 アメリカ科では英語による卒業論文は必修であり、 また学生にとっては駒場での勉学の集大成でもあります。 今年の卒業論文提出者は7名で、1月末に教員、 4年生および下級生が参加して、口述審査会が行われました。 今年は特に優秀な論文1本に最優秀卒論賞を授与することになり、 同窓会のご厚意により昨年に引き続いて奨学金も授与することができました。 卒業生の皆様のご配慮に、改めて感謝申し上げます。
 以下は最優秀卒論賞を受賞した北代遼さんによるお礼の言葉と論文要旨です。
北代 遼(きたしろ りょう)
 この度は、最優秀卒論賞を頂き、誠にありがとうございます。 アメリカ科同窓会の皆様に、心より御礼申し上げます。 このような栄誉ある賞を頂けたことを大変光栄に思います。 今後も、アメリカ科での経験を活かし、就職先でより一層精進してまいります。
Misunderstanding, Miscalculation, and Mistrust: The Dissolution of the Partnership between J. William Fulbright and Lyndon B. Johnson during the Vietnam War, 1963-1968
(誤解、誤算、そして不信―ベトナム戦争期におけるJ・ウィリアム・フルブライトとリンドン・B・ジョンソンの協力関係崩壊について―)

 ベトナム戦争において、1963年末から1968年初頭の期間は転換期である。 当時の大統領、リンドン・B・ジョンソンは、 1964年8月のトンキン湾事件後に、議会からベトナム戦争の白紙委任状を受けた。 翌年、彼は初めて米軍地上部隊をベトナムに派遣した。 その後も合衆国は戦争を拡大し続けたが、戦況は悪化する一方であった。 そして、1968年の3月、彼は米軍の段階的な撤退と北爆縮小を命ずるとともに、 自身の次期大統領選挙への不出馬を表明したのである。
 ジョンソン大統領がベトナム戦争拡大を決断する過程については、 「機会」を基準に、多くの研究がなされてきた。 例えば、ジョンソン大統領は戦争拡大反対者の意見を聞く機会があったのか。 また、当時、彼は誰と議論を交わす機会を設けていたのか。 しかし、より重要なのは、その機会において、ジョンソン大統領が反対者の助言に耳を傾け、 政策を変更する意思があったかどうかである。 そこで、本論文では、ジョンソン大統領による彼の政策に反対する政治家への対応を、 彼の性格や信条から分析を試みた。 特に、ジョンソン大統領と当時のアメリカ上院外交委員会委員長のJ・ウィリアム・フルブライトとの関係に着目した。 彼はトンキン湾決議の際、旧友であるジョンソン大統領への多大な信頼を表明した。 しかし、戦況が悪化するにつれ、ジョンソン大統領への不信を募らせていった。 1966年、フルブライトは、ベトナム戦争問題に関する公聴会を開催した。 この公聴会で、彼はジョンソン政権を糾弾し、その後は、国内での反戦運動拡大に大きく貢献した。
 当時の冷戦の状況が、ジョンソン大統領に「ドミノ理論」を受け入れやすくしていたということは重要である。 それゆえ、彼は、マクナマラ国防長官やラスク国務長官などを信頼し、戦争拡大を進めたのである。 一方で、彼は戦争拡大反対者を重要な会議から排除し、その助言を受けることを避けようとしていた。 当時、反対者がジョンソン大統領に助言する機会はあった。 しかし、彼がその助言を傾聴し、政策を変える可能性は殆どなかったのである。 1966年の公聴会は、こうした彼の言動に対するフルブライトの不信の結果である。 議員の反対意見には耳を傾けないことを察したフルブライトは、この公聴会により、 世論の反戦機運を高め、ジョンソン政権のベトナム政策を転換させようとしたのである。

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