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2011年4月15日 (金)

最優秀卒論に賞金を授与

竹内聡志さんと長尾有希子さん
(竹内聡志さんと長尾有希子さん)
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昨年の定例総会で在学生に対し「奨学金」を授与することを決定しましたが、具体的には最優秀卒業論文に対する賞金という形で実現しました。今年は東日本大震災のため安田講堂での卒業式は取りやめとなり、3月24日教養学部全体の卒業式が900番教室で行われ、その後、地域文化研究学科は18号館ホールで学位授与式を行ない、簡単な立食パーティのあと、アメリカ科研究室で最優秀卒業論文賞の発表と表彰を行ないました。今年の最優秀卒論賞につきましては、長尾有希子さんと竹内聡志さんの2名に決定し、それぞれに表彰状とともに同窓会から賞金が授与されました。


新卒業生とアメリカ科教員の皆さん
(新卒業生とアメリカ科教員の皆さん)
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今年アメリカ科を卒業した59期生9名のうち、出席できたのは6名でしたが、それぞれが日本にとって大きな試練の時に社会に巣立っていく抱負を語り、元気良く駒場キャンパスをあとにしました。

同窓会からの最優秀卒業論文に対する賞金の授与は今年が初めてでしたが、これを継続することにより在学生にとって少しでも励みになることを期待しています。


賞金の授与に関して、能登路雅子さん(20期)と受賞者の方々から、以下のような言葉が寄せられました。

アメリカ科最優秀卒業論文賞について
教養学部教授 能登路雅子
アメリカ科では英語による卒論は必修であり、また学生にとっては2年半のアメリカ科での勉学の集大成でもあります。以前より優秀な卒論に対する表彰制度を設けておりますが、このたび、同窓会のご厚意によりまして、賞金も授与できることになりました。卒業生の皆様のご配慮に心から感謝申し上げます。今年の卒論提出者は11名で、1月末に教員、4年生および下級生全員が参加して、口述審査会が行なわれました。
以下は最優秀卒論賞を受賞した長尾有希子さんと竹内聡志さんによるお礼の言葉と論文要旨です。

長尾有希子
はじめに、最優秀卒業論文賞受賞にあたり、アメリカ科同窓会の皆様に厚く御礼申し上げます。このような栄誉ある賞を頂けたことを大変光栄に思っております。4月からは社会人となりますが、アメリカ科で学んだことを忘れず今後も精進していきたいと考えております。私の論文の要旨は以下のとおりです。

Children's Entertainment and Multiculturalism in the United States: Race, Ethnicity and Dolls
(アメリカ合衆国における子供の遊びと多文化主義―人種・エスニシティと人形)

現在のアメリカ合衆国には様々な人種・エスニシティの人々が暮らしており、それを反映して様々な肌の色・身体的特徴を持った人形やキャラクターが存在する。これらの子供の文化はアメリカ社会とマイノリティ・グループの関係と呼応して進化してきた。かつては差別的なものが多かったがマイノリティ・グループの人口増加、購買力の向上、そして働きかけによって差別的なものの多くは排除された。しかし、様々な実験から黒人の子供は黒人よりも白人の人形を好む傾向にあることが示されている。自分の人種に対する彼らの認識を改善させる方法の一つとしてより多くの様々な人種・エスニシティの人形やテレビに登場するキャラクターを取り入れることが挙げられる。しかし、これらを製造する企業は教育機関ではなく、一義的な目的は利益追求であるために必ずしも表現が的確であるとは言えず、人種・エスニシティの商品化を促しているとも考えられる。子供の文化は彼らに自分たちの人種・エスニシティに対して肯定的なイメージを持たせ、なおかつ彼らの周りに存在する様々な人種・エスニシティの人々を受け入れ理解することを促すものであるべきである。

今日、様々な人種・エスニシティを扱う玩具や番組があることは、その歴史的背景からしても一定の評価にあたいする。しかし、多くのアメリカの子供が白人の人形を好むことや人種・エスニシティの区分がより多様化していること、そして教育的な商品と人種・エスニシティの商品化の区別の難しさという問題は依然として残ったままである。

竹内聡志
このたびは、アメリカ分科最優秀卒業論文賞を受賞させていただき、誠にありがとうございます。思いもかけぬことに驚いておりますが、このような栄誉ある賞を頂き、大変光栄に存じます。今後ともアメリカ分科で培った知識を活用・発展させていけるよう、日々邁進して参ります。

The Pendleton Act of 1883: Its Significance in the History of Civil Service Reform
(1883年ペンドルトン法―公務員制度改革史におけるその意義)

この論文の目的は、アメリカの公務員制度の歴史において、ペンドルトン法が果たした役割とその意義を再評価することにある。アメリカでは1820年代から大統領やその政党に公務員の任命権が委ねられる、いわゆる「スポイルズシステム」が広がっていった。このシステムは政治主導的な行政化を促進する一方、しばしば賄賂や汚職の温床となり、能力を伴わない公務員の増加などが問題となった。これを受けて19世紀半ばから公務員制度の改革運動が始まり、その結果1883年に能力・実績主義に基づいた公務員制度(いわゆるメリット・システム)や非政党的な公務員像を規定したペンドルトン法が成立した。

しかし、政党間の妥協の産物として生まれた結果、成立当初から幾つもの構造的欠陥を抱えており、そのことが後にニューディール期におけるさらなる改革運動を誘発するきっかけを与えてしまったと言える。ペンドルトン法は、旧来のスポイルズシステムの残滓を残していたがゆえに、その後の公務員制におけるスポイルズ的要素とメリットシステムの両立というジレンマの起点としての役割を果たしたのである。

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