第4~6期卒業の方々から寄稿を頂きました
第4期、第5期、第6期の方々から寄稿頂きました。
何れもアメリカ科進学を含めて、教養学科の草創期、恩師や授業風景、
そしてその学びが社会で如何に役立ったかなど、思いの籠った寄稿です。
画面の都合で題名と冒頭の文章のみ表示していますが、何れも興味深い内容です。
ぜひPDFの各アイコンをクリックして、全文をご一読されるようお薦めいたします。
寄稿・ 投稿日 |
寄稿・ 投稿者 |
寄稿・投稿文 |
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2015年11月 |
新井 龍二
(4期) |
パイオニア精神 教養学科を志したのは、経済学などの専門科目を学ぶに当たっては、 幅広い教養の裏付けが重要で、 特定の国を、歴史、政治、経済、社会、文化などの分野で総合的に研究することが、 広い教養を身に着ける手掛かりになろうと考えたからだ。・・・ |
2015年11月 |
島村 力
(4期) |
中屋健弌先生のことなど 「アルバイトはやめろ。就職は安心しろ」 ──初めてアメリカ科の部屋でお会いした時、先生が強調されました。 当時、受験生相手の通信添削、模擬試験、受験雑誌『αβ』の出版、サンデースクールなどをやっていた、 東大文化指導会というアルバイト団体にのめり込んでいた私にはショックでした。 でも、結局は二足のわらじを履きつづける結果になりました。・・・ |
2015年11月 |
深田 恒夫
(5期) |
思い出すことども 〜そして今〜 私たち5期生は1957年(昭和32年)卒業です。 茫々60年 薄れかけた記憶の糸を手繰りながら 中屋先生にかかわるわたくしのとても個人的な思い出、 そして老境の今を報告して、諸兄姉の卓越した論説の間の埋め草としたいと存じます。 中屋健弌先生 昭和30年前後働き盛りでいらしたと思います。・・・ |
2015年12月 |
児玉 佳與子
(5期) |
中屋先生の薫陶-アメリカ科の思い出- 東京大学入学当時、総長は、矢内原忠雄先生でした。 先生のことは、祖父母や父母などからよく聞いていました。 第二次世界大戦中、平和主義の立場から、正義や非戦論を主張し、 厳しく植民地主義的な戦争を批判されたため、東大を追われてしまわれたこととか、 『嘉信』という雑誌を編集しながら、ご自宅で「土曜学校」を開いておられたことなど。・・・ |
2016年1月 |
高橋 照美
(6期) |
アメリカ科で学んだことで我が人生は・・・ 齢80を数えるに至って我が人生を顧みるとき、 いつも何かの出会いがあって、それがその後の私の人生に1本の糸となって繋がり、 そのような糸が幾つも織り重なってその後の私の人生を形作ってきたという感じである。 何か、決定的に大きな出来事があって、それが大きく私の人生を変えたという訳ではないが、 アメリカ科で過ごした2年半が、その後の私の人生に少なからず影響を与えたことは間違いないと思う。・・・ |
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