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2013年4月

2013年4月16日 (火)

第9回定例総会開催のご案内

東京大学アメリカ科同窓会の第9回定例総会を下記のとおり開催いたします。同期の方々をお誘い合いの上、是非ご出席下さいますようご案内申し上げます。

―記―
1. 日 時: 2013年5月24日(金)18時00分~19時15分
2. 場 所: 学士会館 203号室(千代田区神田錦町3-28 TEL.03-3292-5936)
3. 議 事: 1) 2012年度会務の報告
2) 2012年度決算、および2013年度予算の承認
3) その他
議事終了後、鍛冶壯一氏(4期)が、「ハイテク旅客機と人間-自動化のメリットと落とし穴」と題して講演をされます。
4. 懇親会: 19時15分より、懇親パーティーを行います。(学士会館 302号室) 懇親会では、懐かしい駒場時代の思い出や将来への夢などを語り合い、 お互い激励し合ってくだされば、同窓会総会も有意義な会になると期待しています。 懇親会会場は21時までですが、その後会館内の喫茶店などで、 それぞれ自由に二次会などをお楽しみください。
5. 会 費:
1) 総会および懇親会費用:8,000円(会場にてお支払い下さい)
2) 同窓会会費:本年度から「終身会費(3万円)」制度が導入されました。(本サイト内の「『終身会費』制度導入決定」をご覧下さい)
①終身会費を
 支払われる方
下記銀行口座に5月末までに30,000円をお振込み下さい。
②年会費を
 支払われる方
総会出席の際会場でお支払いいただくか、または、下記銀行口座に5月末までにお振込み下さい。 なお、2012年度未納の方は2年度分4,000円をお支払い下さい。
  振込先 ;みずほ銀行東京営業部
口座番号;4016397(普通)
口座名 ;東京大学アメリカ科同窓会
6. 出 欠: 下記メールアドレス宛に、4月30日まで にお知らせください。
7. その他:
1) 本年「周年幹事」に該当する11期(1963年卒),21,31,41,51期の幹事の方々は、 是非、本総会にご出席され、本同窓会の運営にご協力くださるようお願い申し上げます。
2) これを機会に入会される方、および本件に関するお問い合わせ、は下記宛にご連絡のほどお願いいたします。
●アメリカ科同窓会事務局
  E-mail:americaka.dosokai@americaka-todai.jp
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2013年・周年幹事会を開催

 3月8日(金)、周年幹事会が学士会館で開催されました。 2009年4月に紙上開催された幹事会で導入された周年幹事制度(詳細は下記参照)にもとづき、 本年、周年幹事に該当する方を招集したほか、卒業55、45、35周年という具合に5の奇数倍の幹事の方にもご案内しました。

 出席者からは、同期のまとまり、同期会の開催状況等について報告があり、 また同窓会入会者・総会出席者の増加策について、および同窓会活性化の見地から活発な意見が出されました。 卒業生に占める女性の割合が高くなってきたこともあり、 女性会員に魅力のある同窓会や総会のあり方を考えていくことも重要との指摘や、 総会への出席者を増やすには、周年幹事が中心になって同期の仲間にこまめに声をかけることに尽きるのではないか、 との意見も出されました。 事務局から、出席の幹事各位に、 ホームページの「会員の消息・動静」を同期会開催についての投稿等に積極的に活用してほしいとの依頼、 及び同期の名簿のアップデートの協力を要請しました。

 頂戴したご意見やご要望は今後の同窓会活動に活かしていくように努めたいと思っております。

(総務部)

周年幹事制度における周年幹事の活動とは次のようなものです。
  1. 1) 当同窓会の周年幹事は、卒業50、40、30、20、10周年の会員とする。
  2. 2) 周年幹事は、総会や、同窓会ゴルフ会などの行事に、積極的に参加して頂く。
  3. 3) 総会後の懇親会の席上で、出席の周年幹事は自己紹介を行い、同期会の活動や仲間の近況などを披露する。
  4. 4) 各周年幹事の代表は、同窓会業務部が主宰する講演会、懇親会等の行事について協力する。
  5. 5) 必要に応じて、各周年幹事の代表と同窓会関係部(業務部、総務部、ゴルフ委員会)との打合せ会を開催する。

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2012年度最優秀卒論賞を授与

新卒業生(第61期)の皆さん
新卒業生(第61期)の皆さん
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2010年の定例総会で在学生に対し「奨学金」を授与することを決定し、これに基づき過去2回、 「最優秀卒論賞」の形で実施しておりますが、今年もこれまでと同様、第3回目の「最優秀卒論賞」を授与しました。 今後ともこの「奨学金」が在学生にとって少しでも励みになることを願っています。

「最優秀卒論賞」の授与に関して、橋川健竜さん(40期)と受賞者3名の皆さんから、 以下のような言葉が寄せられました。

卒業論文審査について 橋川健竜(教養学部准教授)

 アメリカ科では英語による卒業論文は必修であり、また学生にとっては駒場での勉学の集大成でもあります。 今年の卒業論文提出者は14名で、2月初旬に教員、4年生および下級生が参加して、口述審査会が行われました。 今年は特に優秀な論文3本に最優秀卒論賞を授与することになり、 同窓会のご厚意により昨年に引き続いて奨学金も授与することができました。 卒業生の皆様のご配慮に、改めて感謝申し上げます。
 以下は最優秀卒論賞を受賞した德地洋子さん、富田蓉佳さん、畠山宜久さんによるお礼の言葉と論文要旨です。 なお、富田さんの論文は本年度の教養学部後期課程卒業生全員の中でも特に優秀と認められ、 教養学部より本年度の一高賞も受賞しました。
德地洋子
この度は、最優秀卒業論文賞を頂き、誠にありがとうございます。 アメリカ科同窓会の皆様に深く御礼申し上げます。 このような栄誉ある賞を受賞できたことを、大変光栄に思っております。 今後は大学院にて日々研究に励み、アメリカに関する理解や考えを一層深めて参りたいと存じます。
The John Birch Society: An Analysis of a Grassroots Movement in the 1960s
(ジョン・バーチ協会――1960年代における草の根運動の分析)

 1958年にジョン・バーチ協会を創立したロバート・ウェルチは、ドワイト・アイゼンハワー大統領が共産党の支持者であると主張していた。 協会員の多くはウェルチと考えを同じくしてはいなかったが、この陰謀論のため、ジョン・バーチ協会は保守というよりむしろ極右であるとみなされていた。 ウェルチは意思決定権を握って協会員を統制したが、一方で協会員に積極的に活動をすることを求め、その結果、協会の草の根運動は右派の中で最もよく組織されることになった。 そこで、1960年代初めまでは少数にとどまり、全国的な組織を持たなかった保守派は、協会の草の根運動を活用した。 1964年の大統領選挙時には、協会の活動はカリフォルニア州で最も活発化し、保守派のバリー・ゴールドウォーター上院議員が共和党の候補に指名されるのに一定の貢献をした。 しかし、協会員の草の根運動はしばしば不正行為を伴った。 また、ゴールドウォーターは責任ある保守というイメージを確立できないばかりか、ジョン・バーチ協会と同じ極端主義者というイメージを払拭できず、選挙で大敗を喫した。
 ゴールドウォーターの大敗を受け、保守派は、ウェルチだけでなくジョン・バーチ協会員は皆、保守派とは相いれない極端主義者である、と徹底的に批判すると同時に、独自の草の根運動を組織していく。 64年の大統領選挙以後、保守派はある特定の争点を掲げる団体(シングル・イシュー団体)を中心にして、また候補者を直接支援するような草の根運動を展開していった。 ジョン・バーチ協会の運動と比べて変化がみられるが、それは、ウェルチによる権威主義体制のもとで展開された、不正を伴う協会の草の根運動とは一線を画す必要があったためである。 すなわち、保守派は草の根運動の性格を改めることで、思想面と運動面の両方で極端主義との明確な違いを出したと考えられる。
富田蓉佳
 この度は、最優秀卒業論文賞を頂き、誠にありがとうございます。 アメリカ科同窓会の皆様に深く御礼申し上げます。 このような栄誉ある賞を頂けたことを大変光栄に思っております。 4月からは大学院に進学致しますが、アメリカ科で学んだことを活かして一層精進したいと思います。
The Oregon Death with Dignity Act: Its Significance in the History of the Right-to-Die Debate in America
(オレゴン州尊厳死法――アメリカの死ぬ権利をめぐる論争の歴史における意義)

 1994年に成立し、1997年に施行されたオレゴン州尊厳死法は全米で初めて医師による末期患者の自殺幇助を合法化した法律である。 この法律が成立する以前のアメリカでは延命治療を拒否することは許されていたが、自分の死期を早めることは法律上認められていなかった。 オレゴン州尊厳死法は尊厳死の賛成派が患者の自己決定権・自律性の尊重を求めた結果、生まれた法律である。 しかし、末期患者やその家族の証言、オレゴン州会議議事録、判例などを検討すると、この法律を巡っては今でも議論が絶えず、激しい論争が続いていることがわかる。 尊厳死法の賛成派は末期患者には自分がいつ・どのように死ぬかを決める権利があると主張し、尊厳死法は彼らに選択肢を与えると考える。 一方で法の反対派は命の尊さ、医師の役割、法の悪用・乱用の可能性と宗教、医療、倫理の観点から反対した。 すなわち、オレゴン州尊厳死法をめぐる議論の対立軸は、アメリカ人が死をどのように捉えているかにある。 賛成派は人間の死というものは非常に個人的なものであるため、いつ・どのように死を迎えるかは個人に決定権があるべきであると主張する。 一方の反対派は全ての命は尊いので、意図的に生命を縮めることは許されないという議論を展開する。
 オレゴン州尊厳死法の成立と実施が及ぼした影響は主に4つある。 まず、法律はオレゴン州に住む末期患者に自殺幇助の権利を付与した。 次に法律は患者の決断が尊重されるように、従来の医師と患者の関係を変えた。 三つ目に医療倫理において死のあり方に対する見解の違いを明らかにした。 最後に法律はアメリカ人の死生観の再考を促したのである。 そのためオレゴン州尊厳死法は末期患者の自殺幇助の権利を確保しただけでなく、 今後アメリカがどのように尊厳死や最期の決断に対応していくかの道標としても機能していると考えられる。 今後はアメリカ人が持っている死生観、その死生観が形成されるまでの過程、そして死生観の結果である尊厳死法の研究を続けたいと思う。
畠山宜久
アメリカ科同窓会のご厚意により最優秀卒業論文賞をいただきましたことに、心からお礼を申し上げます。 4月からは地域文化研究専攻の大学院で勉強を続け、この論文の論点をさらに深めてゆきたいと思います。
Disney’s EPCOT and American Urban Development: Reconsidering Their Mutual Influences during the 1960s
(エプコットとアメリカにおける都市開発――1960年代に両者が相互に与えた影響の再考)

 ウォルト・ディズニーが1965年に建設計画を公表した実験型未来都市(Experimental Prototype Community of Tomorrow, EPCOT)について、 ディズニーの独創とみなす見解が一般的には有力だが、実際にはEPCOTは1960年代当時の様々な都市計画・復興案の複合体である。 EPCOTをディズニー研究の視点のみならず、都市中心部の荒廃(「都市の危機」)がアメリカ社会の関心事となっていた同時代の文脈に位置付けると、 この計画がなぜ1960年代の終わりとともに消えざるを得なかったかが見えてくる。 EPCOTとそれに付属する工業団地は、具体的には都市計画家ビクター・グルーエンの理想都市計画や、スタンフォード工業団地と類似する点が多かった。 例えば、グルーエンは自らの著作で都市の地下を階層化し、自動車交通と歩行者を分離することを主張しているが、 これはディズニーが歩行者の安全を確保するためにEPCOTで試そうとしたこととほとんど同じである。 その他、敷地の用途区分や公共交通機関の整備の方針に見られる類似をはじめ、 グルーエンの都市計画やスタンフォード工業団地の運営方針は、EPCOTに強い影響を与えた可能性が高い。
 当時のディズニー社には、EPCOT計画を推進するのに必要な要素が整っていた。 まず、ディズニーランドでは大勢の来場者が混乱なく敷地内を行き交っており、 このことは実験都市運営におけるディズニーの空間・群衆管理能力の高さを予想させた。 その後ディズニーはニューヨーク世界博覧会 (1964-65) のために合計4つの出し物を制作したが、この交渉の際に、 ディズニーはアメリカ中の大企業の研究所を回って、将来のEPCOT建設に欠かせない大企業とのコネクションづくりに努めた。 さらに、ディズニー自身の大衆的人気も世界博の年にピークを迎え、ディズニー社の事業拡大に弾みをつけた。
 ところが、ディズニーの死亡した1960年代後半には、アメリカでの実験都市建設や都市再開発の機運は下火になった。 またこのころ、若年層を中心にディズニー式の管理方法に異議を唱える人々が現れ、ディズニーランドの空間・群衆管理スキルに対する信頼が揺らいだ。 これらの事例の検討から、EPCOT計画の進展と消滅は、 1)ディズニーの新事業に伴うリスクを恐れない姿勢、2)ディズニーランドにおける空間・群衆管理の成功、3)ウォルト・ディズニー自身の大衆的人気の3つすべてが、 偶然にも「都市の危機」に対する都市計画家らによる具体的な解決案と同時期に現れ、また消えていったことを意味すると考えられるのである。

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