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2013年2月 5日 (火)

中西尚道元会長のご逝去を悼んで

同窓会前会長 伊原総三郎

故中西尚道元会長氏
故中西尚道元会長
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アメリカ科同窓会の中西尚道初代会長は 昨年8月28日に逝去なされました。 アメリカ科同窓会ホームページの紙面をお借りして、同窓会幹部とも相談し、中西さんのご逝去を悼み、 お亡くなりになったお病気のご様子や昔の思い出話をお書きして、中西会長追悼記を記す事と致しました。

 中西さんのご令室、宜子様は立派なお医者様で、ご自分の病院でご主人を看病なさり、 最後をお見届けなされた宜子様のお気持は如何ばかりかとお察し申し上げ、心からお悔やみ申し上げます。

 宜子様のご報告によると、中西さんのご病気は“間質性肺炎”で昨年の6月半ばに呼吸が不調となり、 人口呼吸器もお付けになられました。  宜子様との会話はなさっておられましたが、永く睡眠が続いたとお聞きしています。 2ヶ月ほどはお元気でおられましたが、その後、次第に呼吸困難と間質性肺炎が進行して、 真に悲しいお知らせですが、8月28日に逝去なされました。
 宜子様から、
「お医者様や看護師の方々も全力を尽くして下さいましたが、矢張り寿命だったのでございましよう。 最後は、苦しみもせず、眠るように逝ってくれました。それだけが慰めでございます。 生前には 本当に親しくお付き合いを頂きまして、お礼の申しようもございません。 葬儀の後始末も少しずつ片付き、私も忙しい毎日から落ち着きを取り戻し、お陰様で医院を再開する運びとなりました。」
とご鄭重なお手紙を頂きました。宜子様のお心には どんな言葉もお慰めには至らぬと思いますが、 ただ一つ申し上げたいのは 初代中西会長のお蔭で、東大教養学科アメリカ科同窓会が立派に組織化され、 毎年同窓会の総会を行い、活発な同窓会活動を続けております。アメリカ科同窓会会員が揃って、 中西元会長のご尽力に衷心より御礼申し上げます。有難うございました。

 中西さんは東大教養学科ご卒業のあと、NHKに入社され、社会生活、与論研究を探求するNHKの放送与論調査所(現 放送文化研究所)に配属され、 公共放送と社会、与論の動向とを交流させる先駆者となられました。 また、その後米国にも出向し、米国においては、公共の放送内容とその折々の社会情勢、 与論の大勢とのマッチングをどのように図っているかも研究され、様々な放送プログラムの基本の流れが、 その時々の社会状況、多くの国民の与論動向を組み入れた時代の動向と一致した放送内容になるよう没頭されました。
 NHKを退職された後、文教大学の情報学部教授から教文学部教授を経て、学長も勤められました。
 ここで、アメリカ科の学生の頃の思い出話を思い出し、報告致したいと思います。 1953年の夏も終わり、アメリカ科第二期生の我々も卒業後の就職を目ざし活動を始める頃でありました。 ある秋の日、中屋先生を囲んで、卒業後の職業選択をいかに進めるかを話し合っていた時、 中屋先生は、就職は勤務先が有する特徴と社風が自分の性格や得意分野と合致する事が大切だと強調されて、 第二期生我々の就職への心構えを諭されました。そして先生は「第一期生の就職状況を見ると、 この点が十分合致し、生かされているのは中西だ」とおっしゃいました。 「中西は細かい事には拘らず、大勢を把握して事を進める性格だ。一点突破型ではなく、大勢をうまく纏める術を心得ている。 要すれば 彼は欠点のない男だ」とおっしゃいました。
 中屋先生ご指摘のこの中西前会長のご人格は、高橋照美現会長が作り上げられたアメリカ科同窓会の綿密なご活躍と相携えて、 アメリカ科同窓会を構築し、アメリカ科同窓会の成功の基礎を構築したと思っております。

 先般、宜子様とお話をした際に、中屋先生が 中西元会長は欠点がない、 大勢を把握して小事には拘らない優しい性格だといっておられた事をお伝えいたしました。 その折宜子様は「本当に優しい性格で小事には拘らないので、家庭で夫婦喧嘩はした記憶はない」と言っておられました。

中西元会長のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げ、追悼記を記しました。謹んで黙祷をささげます。

(2013年2月2日)


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